第1回 糀発酵研究所・菖蒲花奈さん
発酵食品の魅力を多くの人に知ってもらいたい。日本の食文を通して、日本人の根本的な美しさと力強さを伝えていきたい。
糀発酵研究所を設立し、自ら味噌を作って、発酵食品の良さを広めるために精力的に活動している菖蒲花奈さん。小さい頃から料理を作るのが大好きだったという彼女は、卒業旅行でヨーロッパを回った際に、海外の文化の素晴らしさを実感すると同時に、日本については自分が何も知らなかったことに気づいたといいます。
「でも、何をしたらいいのか、どういう活動をすればいいのかまではわからなかったんですね(笑)。大学を出て後はいったん就職しましたが、好きな料理で人を幸せにする仕事がしたいという気持ちがだんだん強くなり退職をしました。それからフードコーディネーターの学校に通いながら、アジアンレストランで働きました。そして、ワーキングホリデーを取ってカナダに1年行き、日本料理店で働いていたとき、素晴らしい出会いがあったんです」
声を高調させてこう話す菖蒲さん。彼女がカナダで出会ったのは、カナダ人と結婚して現地で暮らす日本人女性でした。
「その方は、日本に帰国するたびにヴィンテージの着物を買って帰り、それをほどいて新しい着物に仕立て直し、現地の方たちに商品として販売していました。そうすることで日本の着物文化の良さを広めていたんです。彼女の活動を通して、じゃあ、自分だったら何ができるんだろうと自らに置き換えて考えました」
卒業旅行で火がついた菖蒲さんの疑問が、カナダでの出会いを機に大きく膨らみ始めました。自分だからこそできる何か、情熱を注いで取り組むことのできることとは何だろう。
この思いが、以前、料理教室開講を目指して魚をさばく料理教室に通い始め、講師が開いていた発酵教室に参加したときの経験と結びつきました。
「甘酒や味噌、醤油を作る教室で、菌の力ってすごいと痛感しました。例えば、麹と蒸した大豆と塩という素朴で、一見ボロボロにしか見えない材料が菌の力で味噌という美味しい食品に変化する。醤油もそうです。塩と水と麦と大豆が時間を経て醤油になることがわかって、感動したんです。私は、日本人の体をキレイに整えている菌の力の素晴らしさを痛感し、発酵食品の良さを広めていこうと決意しました」
材料、味、パッケージすべてにこだわり抜いた味噌「香豆」
菖蒲さんが糀発酵研究所を設立したのは2015年。現在は、自ら味噌を作り、「香豆」ブランドとして商品化しています。
味噌を作るにあたって菖蒲さんが何よりもこだわったのは、原料選びでした。
「どういった土地で、どのような人が作っているのか。原料の由来を重視しました。同じ大豆でも土地や作り手によって、甘みやふっくらとした加減はまったく違うんですね。良い大豆や麹はそのまま食べても美味しい。自分が食べてみて納得の行く材料だけを厳選しています」
いま使用しているのは、千葉県神崎町の自然栽培の大豆と沖縄の塩。味噌は1年熟成と2年熟成の2つのタイプがあります。
「同じレシピでも、1年ものと2年ものとでは色も味も異なります。2年熟成は見た目も黒いですし、甘みが強く、塩味も強い。一般的には1年ものが人気ですが、面白いことに子どもには2年目が好まれる傾向がありますね」
栄養価では2年目の方が勝るとのこと。味の刷り込みや先入観のない子どもたちの舌はそれを見抜いているのかもしれません。ともあれ、料理人として働いてきた経験も生かし、味に徹底的にこだわって、味噌「香豆」を完成させました。
パッケージにも要注目です。味噌というと、良く言えばシンプル、悪く言えば垢抜けないパッケージが多い中、菖蒲さんが作る味噌は、可愛いロゴとピンクの花柄を施したスタイリッシュなパッケージ入り。
「自分と同じような世代やさらに若い世代に発酵という文化を引き継いでいきたいという気持ちが強くあります。このような世代の方たちになるべく手に取っていただけるようなデザインにしました」と菖蒲さん。ジャケ買いしたくなるようなルックスには、原料や味はもちろん、外見にも手を抜かない彼女の強い意志が感じられます。
味噌は、1年熟成・2年熟成ともに500g1300円。決して安い価格ではありませんが、月に3、4回出店している恵比寿や青山のマルシェでは着実にリピーターが増えています。卸だけではなく、マルシェという極めてプリミティブな販売形態を選んでいる理由はどこにあるのでしょう。
「卸のみですとお客様の声が聞こえづらくなってしまうからです。お客様に試飲してもらいながら直接説明すれば、反応が目に見える。それを次の商品開発や販売方法に活かしていくことができるんです。もっとも、都心のマルシェにいらっしゃる女性客は、健康志向が非常に強く、発酵食品の知識も豊富な方が多いですね(笑)。『一度買ってまた食べたくなって次の出店待ってたんです』と言われることも結構あるんです」
マルシェでの購入客の多くは、20代~30代の女性たち。本物志向が強く、マクロビオティックにも強い関心がある「アーリーアダプター層」が中心です。それだけ、菖蒲さんの味噌は食に造詣があり、健康な食生活を送りたいと真剣に考えている人々を惹き付けるだけの味と説得力があるということ。伸びしろの大きさがうかがえます。
発酵食品を軸にしたライフスタイルのモデルに
マルシェ出店を機に、菖蒲さんのもとには西麻布のカルチャースクールでの講師の依頼が舞い込みました。麹や甘酒など発酵食品に関するレクチャーです。
また、青山や恵比寿のマルシェのほか、年に数回、千葉県君津市内で開催されるマルシェにも参加しているほか、菖蒲さんが作る味噌を高く評価している有機野菜や健康食品の店での卸も始まりました。販売チャネルのメインは消費者と相対できるマルシェですが、商品の良さを客に伝えてくれる店主やスタッフがいる店もまた販路の選択肢の一つなのです。
今後について、菖蒲さんはこう話します。
「いまやっている講習会ではキッチンを使える環境にないので、キッチンを使って麹をどんんな風に使えばいいのかを具体的に知っていただける講習ができたらと思います。それから、商品がいまのところ味噌だけなので、ラインナップも増やしたい。まずは、麦味噌や白味噌を加えたいですね。また、近年中には雑穀の甘酒にも取り組みたいと考えています」
味噌の製造と販売、発酵に関する教室の講師のほか、最近ではライターとしての「顔」も加わりました。フリーペーパーや女性誌を舞台にした食に関する記事の執筆です。
着実に活動領域を広げる菖蒲さんは、もっと先にこんなビジョンを描いているそうです。
「食空間を提供していくことですね。発酵食品を軸にしたライフスタイルのモデルを作っていければ。そんな夢もあります」
味噌、醤油、甘酒。そうした発酵食品の開発製造販売にとどまらず、発酵食品をいかにライフスタイルに溶け込ませていくか。菖蒲さんはその実践者として力強く歩み始めています。
エネルギーの源はおばあさまとの楽しい時間
最期に、菖蒲さんにとっての「気和心」について尋ねてみました。
「私のエネルギーを作る源は、祖母との時間にあるのかもしれません。祖母は、自宅から車で15分ほど走らせたところに暮らしていますが、嬉しい時には必ず報告に行きます。そして悲しいときや落ち込んだ時は、なんの連絡も入れずにすっとお邪魔しに行って、話を聞いてもらうことも多いんです」
菖蒲さんのお祖母様は、現在86歳。背丈も145㎝と小柄ながら体力があって働き者。いつも家の中はピカピカに掃除されていて、お庭には四季を通して色とりどりのお花を植えているのだとか。高速道路もいまだに追い越し車線を走らせ余裕で運転。声にもハリがあり一緒にいるだけでパワーをもらえるようなありがたい存在なのだと菖蒲さんは笑いながら教えてくれました。
「お味噌の事業を始めることができたのも祖母の存在が大きいですね。いつも仲良くさせてただいている近所の農家さんの土地で蒔き窯を使い、大豆を蒸し味噌の試作をさせていただいたり、環境の良い大きな蔵で味噌を熟成させてもらったり。何から始めたらよいかわからない創業時には皆さんのご厚意は心に温かく感じました。これは祖母のご縁としかいいようがありません」
都内のマルシェに初めて出店する際も、お祖母様は千葉からの運転に自信がなかった菖蒲さんの車の助手席に座り、目的地までついてきてくれたのだとか。おばあさまがいてくれることで安心し、夢中で話しかけながら片手で運転していると、「しっかり両手で運転しなさい」と叱られることもあったといいます。
「それからですね。自信をもって都内のマルシェへ一人で出かけられるようになったのは。在庫を抱えた荷物をトランクに詰めレインボーブリッジを走らせているとなんだかやる気がわいてきます」
おばあさまの代表料理はぬか漬け。「毎日かき混ぜる事が美味しさを保つ秘訣」と教えてもらっても、床分けしてもらっても、いまだに続いている人はゼロ。混ぜていてもなぜか違う味になったり、糠の臭みがでてしまったり、黒くカビてしまうそうです。
いわば、おばあさまのぬか漬けは奇跡の味。そんなお料理上手なおばあさまが作るお料理はどれも美味しく、野菜を中心としたものばかり。食べ終わってからお肉が入っていなかったことを忘れてしまうくらいお腹と心を満腹にしてくれる食事が終わると、ガールズトークの時間が始まります。
「そうだよね」「私もこう思う」「でもさ」
落ち込んでいる時でも、話はいつか横道にそれ、いつの間にか二人で笑っている。そんな楽しい時間が続きます。
「決心がつかなかったときでも、祖母にただただ話すことによって自分の決心が決まることさえあります。『こうしなさい』とは言われたことはありません。答えは自分の中にきちんとあるんですね。その答えをただじっくり信じて待ってくれる。それが祖母なんです。普段の何気ない生活の中で祖母と一緒に料理をしたり、ドライブしたり、ガールズトークをする。これが私の気和心なのかもしれません」
菖蒲さんの「気和心」の源であるおばあさま。今日も明日も美味しい料理を作り、菖蒲さんの話に耳を傾け続けてくれるに違いありません。
糀発酵研究所・菖蒲花奈(しょうぶかな)さん プロフィール
2010年、料理教室開講を目指し技術習得のため飲食店に勤務するとともに魚をさばく技術を身に着けるために料理教室へ通う。2011年、発酵教室に参加したことによって菌の素晴らしさを知る。バンクーバの日本料理店勤務・帰国後の板前修業にて料理を深める。その合間に独自で発酵食品の味を追求。2015年、糀発酵研究所を設立し発酵食品の良さを広めるべく各地のマルシェに出店する他、もろみに関する料理教室を開催する。ライターとしても活動中。
女性起業家の来し方行末
自分でビジネスを興したい。好きなこと・得意なことを生かして社会に貢献したい。世界に飛び出していきたい。自分の夢をカタチにしたいと切磋琢磨し、自分の未来を切り開いている女性起業家たち。彼女たちはどのような道を歩み、どんな未来を見つめているのでしょうか。女性起業家の来し方と行末をフォーカスします。
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