無作妙用機
みゆは妙に浮かない表情をしている。
「どうしたの、みゆ」
心配そうにうーにゃんが訊いた。
「ミサキの会社がつぶれちゃったんだ」
「え!? ミサキちゃんの会社が?」
ミサキはみゆが会社勤め時代の同僚で、同じ時期に東京に戻ってきて起業した。業種は違えど、みゆとミサキはお互いに刺激し合えるいい関係だった。
「あんなに一生懸命仕事してたのに……」
ミサキの会社が急成長していることは、うーにゃんも知っていた。ときどき、みゆから聞いていたからだ。もともと気遣いのできる子で、それに拍車をかけた仕事ぶりだった。コンペにも積極的に参加し、少人数で一般管理費が少ないという零細企業の強みを活かして価格を下げ、飛ぶ鳥落とす勢いで新しい仕事を獲得していた。夜の会食接待や誕生日カード、盆暮れのギフトなど、およそ考えられる限りの「営業活動」をしていた。それなのに……。
「ミサキと比べたら、わたしなんかなんにも営業していなかったようなものだわ」
そもそもすべてを一人でこなさなければいけないみゆにとって、ミサキがやっていたような「営業活動」を続けるのは無理だった。くわえて、みゆの性格上、細やかな気遣いをするのは不可能とも言えた。そんなわけで、みゆの会社は売上が上がったり下がったりで、わずかに成長しているという状態だった。それなのに……。
「でもね、考えてみれば、当然の結果かもね」
うーにゃんがそう言った。
「え? なんで?」
「ミサキちゃん、作為の落とし穴にはまったんだよ」
「作為の落とし穴?」
「そう。無作妙用機(むさくみょうようのはたらき)という言葉があるんだけど、一心不乱に目の前の仕事に取り組んで、いい結果を出すことだけを心がけていれば、いつしか数字もついてくる。世の中って案外そういうもんじゃない? ミサキちゃんは、その反対をやってしまった。だいたい、キャパ以上の仕事を請け負ったら、仕事の質が落ちてくるのは当然だよ」
「わたしはもともと器用じゃないし、ミサキみたいに気が利かないから、ちょうど良かったのかな」
「策に溺れるというのはビジネスだけじゃなく、あらゆる世界にあるよ。ミサキちゃんは大企業の仕事のやり方をしてしまったんだ。なるべく早く結果を出そうと思ったんだろうけど」
「大企業のやり方?」
「社員一人ひとりの個性を活かすという考えではなく、組織全体のパワーを上げるという手法。言い換えれば、社員はいつでも取り替え可能。部品と言っては言いすぎだけど、それに近い存在としか考えていない。だから、一人ひとりの判断に任せることはしないでしょう?」
「たしかに、わたしもサラリーマン時代はほとんど裁量権がなかったわ」
「大きな組織が個人に裁量権を与えていたら、組織が崩壊してしまうもの。せいぜい、社員数百人規模が限界じゃないかな」
ふ〜。二人同時にため息をついた。
「事業を続けるって、難しいね」
みゆがしみじみと言った。
「そうね。起業して10年続く会社って、5パーセントくらいしかないって聞いたことがあるよ」
「そんなものか〜」
「コンペで勝ったとはいっても、そういう会社は翌年もコンペをやるだろうし、その時に勝つとは限らない。価格を下げて仕事を獲るということは、もっと価格を下げられたら負けてしまうということ。要するに、取引の始まりが本質的じゃないんだよね。もっと、小さな会社なりのやり方がある。その人の個性を前面に出して、その人じゃなかったらダメという仕事をする。だって、替わりの人があまりいなかったら、そうそう仕事を失うことはないでしょう? それに、仕事を通して人間関係を深めれば、さらに盤石だと思うよ。どんなに時代が変わっても、人は気持ちよく仕事ができる人と仕事をしたいはずだから」
「人間関係を深めるって、接待とか誕生日カードとかバレンタインに贈り物をするとかっていうのとは違うんだよね」
「みゆも大事なことがわかってきたね」
「うーにゃん先生がいつも近くにいて教えてくれるからね」
「今日はいいこと言うのね、みゆ。モンプチ分けてあげようか?」
「けっこうです!」
みゆの脳裏に、パパが口癖のように言っている「すぐに得たものは、すぐに失われる」という言葉がよみがえった。
うーにゃん先生流マインドフルネス
米アップル社創業者、スティーブ・ジョブズが傾倒していたことで、米国のビジネス界で脚光を浴びている禅。
宗教色を排し「マインドフルネス」としてアレンジされ、瞑想を通じて自身の深い心のあり様を見つめ、経営判断や、仕事のストレス緩和に活用されています。
その源流にある禅宗の文献からまとめられ、日本では多くの経営者により愛読されてきた禅語を「うーにゃん先生の禅語」として連載でお届けします。
情報過多の時代に生きる私たちが、シンプルに本質を判断し、次の一歩を後押ししてくれるヒントが必ず見つかるはずです。
ZEN(禅)マスターは
年齢:12才、性別:♀、猫種:キジトラ、名前:うーにゃん先生。
一見平凡な猫に思えて、その実、深い知識と教養を備えたうーにゃん先生とその飼主である「みゆ」との会話を通して、禅語の本質を平易に解き明かします。
この記事へのコメントはありません。