桃李不言 下自成蹊
久しぶりに家族全員揃い、夕食が始まった。まずはビールで乾杯。そのあと、日本酒を1合強。銘柄は「丹沢山」か「出羽桜」「大七」。基本的に、精米歩合を抑えた純米酒で、1年以上蔵で熟成させたものを選んでいる。
うーにゃんは、アルコールを分解する能力がないため、ノンアルコールビールを少々たしなむ。
「昨日ね、取引先の中村部長が退職するというのでお別れパーティーに出席したんだ。50人くらいだったけど、いままでに出席した仕事関係のパーティーでは最高だったよ。中村部長って、みんなから慕われて幸せな人だなあって思った」と、みゆが言った。
「お別れパーティー? 辞める人にパーティーを開くのって珍しいわね」
「その人、仕事は厳しいけど、面倒見もよくてさ。わたしもさんざんお世話になったんだ。なんか、おかあさんの介護をするため実家に戻るみたい」
「中江藤樹のような話だな。それにしても、まだ定年という齢じゃないだろう」
「50歳になったばかりかな。ずっと営業部のトップだったし、社長からも部下からも取引先からも信頼が厚かったから、会社にとってはダメージ大きいと思うよ」
「本人も残念だろうね」
ほろ酔い加減になると、BGMに合わせてパパとうーにゃんがハミングする。ポール・マッカートニーの「Silly Love Songs」。ふたりとも、♪ I Love Youのところを、気持ちよくハモっている。すかさずママが合いの手を入れる。仕事で悩んでいる人がたくさんいるというのに、なんとお気楽な家族かとみゆは思った。
「じゃあ、せっかく格好のテキストがあるから、少し問答しようか」
「問答?」
「そう。文字通り、問いに対して答える。じつは、これが最良の勉強法なんだよ。その中村部長、どうしてみんなからの信頼が厚かったと思う? ハンサムだから? 背が高いから? お金持ちだから?」
「う〜ん、どう見てもハンサムじゃないし、背は低い。昭和の典型的なおじさん体型だし、ときどき鼻毛も出ているし、髪の毛だって風前の灯だし。お給料は高かったと思うけど、とくだんオシャレでもないし。そういう点では人並みだと思う」
「じゃあ、なんで?」
「やっぱり人間性だと思う。誠意をもって仕事に取り組むってこういうことかと教えてもらった気がする。ぜったいに妥協しないし、自分にも他人にも厳しいんだけど、部下や取引先がミスしても、とことん自分が責任を負うっていう感じ。それがわかっているから、中村部長に迷惑をかけたくない一心でみんなの心がひとつになる。それにね、すごく勉強している。パパがよく言っているリベラルアーツの塊のような人だから、いろんな人と話が合うんだ。それが仕事につながっているみたい。わたしもいろんなことを教えてもらったよ。自然界の法則とか茶の湯のこととか江戸の町人文化のこととかサッカーのフォーメーションのこととか……」
「だから人が集まってきたんだな。うーにゃん、いまの話にピッタリの言葉があるよな」
「うん。桃李不言 下自成蹊(とうりふげん かじせいけい)でしょう?」
「そう。さすがはリベラルアーツネコ」
「どういう意味?」
「おまえさ、なんでもかんでもすぐに質問しないで、ちょっとは考えてみたらどうだ」
「桃李というのは、桃とすももだよね。それがどうしたの?」
「えいえい! 思考が浅い! 考えるんだ、考えろ」
「桃もすももも何も言わないけど、その下に自ずから……」
「もうちょい」
「成蹊ってなんだろう?」
「ほら、安倍さんが出た大学。成蹊大学はこの言葉からとっているんだよ」
「へぇ〜、そうなんだ」
「道ができるという意味だよ。いいか? 桃もすももも何も言わないのに、たくさんの人が集まってくるから、その下には自ずと道ができるということだよ」
「あっ、中村部長みたいだ」
「だろう? 人間的な魅力がある人は、ことさら自分の能力を誇らない。でも、多くの人に慕われているから、人が集まってくる。これが人生の要点だよ、みゆ。こうなるためには、ハウツーもんの勉強じゃだめだ。薄っぺらでさかしらな知識をいくら詰め込んでも、その人の魅力にはならない。自分をぶ厚くしなきゃ」
「どうやって?」
「それを考えるのが面白いんだろう。答えはひとつじゃない。人の数だけある。だから、面白い。もし、中村部長がこっそり『部下を伸ばす50の言葉』なんていう本を読んで、それを実践したところで、部下の心を打つとは思えないだろう? それと同じだよ」
「パパ、ひとつ訊いていい?」
「なんだ?」
「パパは以前、なんでもかんでも仲良くなればいいわけではなく、選別も必要だって言ったでしょう? 桃やすももは選別しているの?」
「いい質問だ。ようやくいい質問ができるようになったな」
そう言って、パパはみゆに酒を酌した。
「選別というのは、好き嫌いで選り分けるということではない。自分を確立して旗幟鮮明にするということだよ。早い話、振り込め詐欺の常習犯みたいな奴らがたくさん集まってきたとしたらマズイだろ? 数が多ければいいという話ではないというのはそういう意味だ。自分に合った人が自然に集まってくる。それが大切だ。そのために、一人ひとりへの応対、一期一会を大切にするんだよ」
「オッケー、パパ」
「ほんとうにわかってんのか、こいつ」
そう言って、パパはみゆの額をデコピンした。
うーにゃん先生流マインドフルネス
米アップル社創業者、スティーブ・ジョブズが傾倒していたことで、米国のビジネス界で脚光を浴びている禅。
宗教色を排し「マインドフルネス」としてアレンジされ、瞑想を通じて自身の深い心のあり様を見つめ、経営判断や、仕事のストレス緩和に活用されています。
その源流にある禅宗の文献からまとめられ、日本では多くの経営者により愛読されてきた禅語を「うーにゃん先生の禅語」として連載でお届けします。
情報過多の時代に生きる私たちが、シンプルに本質を判断し、次の一歩を後押ししてくれるヒントが必ず見つかるはずです。
ZEN(禅)マスターは
年齢:12才、性別:♀、猫種:キジトラ、名前:うーにゃん先生。
一見平凡な猫に思えて、その実、深い知識と教養を備えたうーにゃん先生とその飼主である「みゆ」との会話を通して、禅語の本質を平易に解き明かします。
この記事へのコメントはありません。