失意泰然 得意淡然
「なんかさあ、きょうのうーにゃん、態度大きくない?」
みゆはママにそっと耳打ちした。
たしかにそうだ。椅子に浅く座り、ふんぞり返っている。ママはくすんと笑って、みゆの耳元でひそひそと言った。
「あの本ができたからじゃない?」
「ああ、そうかも」
ふたりは笑った。
あの本とは、パパの知り合いの経営コンサルタント・三村邦久さんから依頼され、社員の持ち味を引き出すことをテーマにしたもので、うーにゃんが指南役になっている。タイトルはそのものズバリ、『うーにゃん先生の持ち味コーチング』。三村さんが飼っているイチ太郎という犬に講義をするという形で、うーにゃんが並外れた見識を披露している。もともと三村さんが書いた原稿をうーにゃんがわかりやすく説明したものだから、うーにゃん作とはいえない。しかし、本になったことでうーにゃんの自尊心がくすぐられたようだ。
そこへパパが帰ってきた。着替えを済ませ、ビールで乾杯。
「むむ? うーにゃん、エラそうだな」
パパはすかさず指摘した。うーにゃんは相変わらず、ふんぞり返っている。
「そうかにゃ」
「そうかにゃ、じゃないだろ? ははぁ〜ん、わかったぞ。おまえ、勘違いしてるんだな。うーにゃん先生の持ち味コーチング」
「すごく評判がいいみたいだよ、パパ。さっき三村さんから電話が入って、うーにゃん先生様のおかげさまで社員研修が大盛況だって。お礼にモンプチを2箱送ってくれるって」
「三村さんもオーバーだな。そんなことを言われたからふんぞり返っているわけか」
「え? べつにふんぞり返っていないよ。うーはいつものうーだよ」
「ちがう。うーにゃんはいつものうーにゃんじゃない。なんなら鏡で見てみなさい」
そう言って、パパは鏡をうーにゃんの前に持ってきた。
「あ、ほんとだ。心なしかふんぞり返っている」
「心なしかじゃないだろう。どこぞのお大臣様のような感じじゃないか」
「そう言われてみればそうかも」
パパとうーにゃんのやりとりを聞いていたみゆとママは、こらえきれなくて吹き出した。
「なによ、失礼な」
うーにゃんは気色ばんだ。
「だっておもしろいんだもん」
その日の話題は、一変したうーにゃんの態度に終始した。どうして人間もネコも、心の状態が態度や表情に現れるのか、話は尽きない。
「どうだ、うーにゃん。ふだんはエラそうに禅の言葉をのたまっているけど、いざ自分が得意な気持ちになるとふんぞり返ってしまうというのは」
「恥ずかしいよ、うーは」
「ま、サルも木から落ちるし、弘法大師も筆を誤る。ましてネコはなにをかいわんや」
「ましてってなに?」
「それは世間の評価を真摯に聞けばよろしい」
「ねえパパ、きょうはうーにゃんに禅語で言ってあげてよ」
いつも言われる側のみゆは、ここぞとばかり言った。
「そうだな。では、失意泰然 得意淡然という言葉を進ぜよう」
「どういう意味?」
「失意のときはそれとわからないよう、いつもと同じようにしていなさい、得意のときも淡々としていなさい。それくらいの気持ちでいると心もちはちょうどいい具合になるという意味だ」
「落ち込んだときとかうまくいったときとか、それを表に出しちゃいけないの」
「悪いとは言わない。もともと人間は感情の動物なんだから。でもね、自分の感情に振り回されるのは感心しない。いちばんいいのは平常心を保つことだ。まして、成果が出たときに舞い上がってしまうようではダメだ。それはやがて傲慢な態度に変わっていく。もし、うーにゃんだって、そうと指摘されなかったら、かなり横柄なネコになっていた可能性もあるよ」
うーにゃんは、パパの言葉を聞いて、ますます肩身の狭い思いをした。
「でもな、うーにゃんはエラかった。うーにゃんの言うことを聞いていたイチ太郎の表情を見ていたら、パパは鼻高々だったよ」
ふと、みゆはうーにゃんを見た。パパに褒められて、うーにゃんはふたたびふんぞり返っているのであった。
うーにゃん先生流マインドフルネス
米アップル社創業者、スティーブ・ジョブズが傾倒していたことで、米国のビジネス界で脚光を浴びている禅。
宗教色を排し「マインドフルネス」としてアレンジされ、瞑想を通じて自身の深い心のあり様を見つめ、経営判断や、仕事のストレス緩和に活用されています。
その源流にある禅宗の文献からまとめられ、日本では多くの経営者により愛読されてきた禅語を「うーにゃん先生の禅語」として連載でお届けします。
情報過多の時代に生きる私たちが、シンプルに本質を判断し、次の一歩を後押ししてくれるヒントが必ず見つかるはずです。
ZEN(禅)マスターは
年齢:12才、性別:♀、猫種:キジトラ、名前:うーにゃん先生。
一見平凡な猫に思えて、その実、深い知識と教養を備えたうーにゃん先生とその飼主である「みゆ」との会話を通して、禅語の本質を平易に解き明かします。
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