莫妄想
「うーにゃん、今日のスケジュールは?」
朝、パパがうーにゃんに訊いた。本来、ネコの仕事は寝ることだが、最近のうーにゃんは講演やらシンポジウムやらサイン会やらでなにかと忙しい。
「今日は空いているよ」
「そうか。じつはな、俺が世話になっている人の弟がうーにゃんに相談があるっていうんだ。俺は会ったことはないんだが、聞くところによると、妄想に生きているというか、周りに迷惑をかけているというか……。困った人らしい」
パパは首をかしげながら語る。いつもとちがって歯切れが悪い。
「パパが相談にのるっていうのはどうなの?」
「人にアドバイスされるのが嫌な人がいるんだよ。そういう人でも、ネコの言うことなら聞くかもしれないからって、その人が言うんだ」
「うん、わかったよ。とりあえず話を聞いてみるね」
Tさんはその日の午後3時に来ることになった。
「どうだった、うーにゃん?」
Tさんが帰るや、パパがうーにゃんに訊いた。
「うーん……」
そう言ったきり、うーにゃんは考え込んでしまった。うーにゃんは狭いひたいに何本もシワをよせて考えている。
「どうにもならないと思うよ、あの人。だって、相談と言いながら、はじめから聞く耳がないんだもの」
「でも、耳はついていただろ?」
「うん、耳はついてるけど、心の耳が閉じているんだもの。お兄さんから言われてしかたなく来たという感じだし、ずっと腕組みしていて上から目線だし。結局、自分が思い描いていることを相手に伝えて、それで終わりって感じ。たぶん、言葉にすることによって自分が思い描いていることが現実になったかのように錯覚しているんだと思う」
「じゃあ、夢があるってことじゃないか」
「よく言えばそうなんだけど、あの人の場合は妄想だよ。現実と理想の区別がつかなくなってしまっている。だってさ、パパ、聞いて」
それからうーにゃんはネコ座りして、言葉を継いだ。
「いろいろ発明しては製品化しているんだけど、さっぱり売れなかったらしいの。モノづくりはダメだということで、こんどは檻のない動物園をつくろうと思って知り合いの雑木林を借りて毎日朝から晩まで林の手入れをしたけど、林がきれいになっただけで動物園はできなかったらしいの。次は何軒もの古民家を安く譲り受けて、それをリフォームして売ろうとしたけど、ひとつも売れなかったらしいの。いろいろ取り組んだことがまったく実を結ばなかったことはまったく意に介していないんだよ。今度は自分の考え方を本にしてベストセラーにすると熱く語っていたよ」
「いいじゃないか、そういう人がいても。世の中、金太郎アメを輪切りにしたような人ばかりなんだから。ところで、関西ではアメにちゃんをつけるって知ってるか?」
「えー、知らなかった。アメを擬人化してるんだね」
うーにゃんは急にアメを舐めたくなった。
「パパ、こんど、アメちゃん買ってくれる?」
「ああ、いいよ。俺も舐めたくなってきた。近所の駄菓子屋に売っているから、あとで買いに行こうか」
「ありがとう。で、Tさん、夢を持つのはいいんだけど、収入になる仕事をいっさいしていないから生活が困窮して奥さんと子供たちは出て行っちゃうし、食べる物にもこと欠く始末で、友人知人からお金を借りては返せないらしいの。それでも自分が思い描いたことを実現させたいと思っているんだから、ある意味すごいよね」
「まあ、バランスの問題だな。夢と妄想は紙一重だ。無農薬リンゴの木村さんだって、ずっと夢を追い続けたけど、夜はスナックの呼び込みなんかもやって日銭を稼いでいた。最低限、家族を食べさせる収入を得ないと、絵に描いた餅になってしまうからな」
「莫妄想(まくもうぞう)だよね。妄想をするなかれ」
「そういうこと。さすがは禅の大家だな、うーにゃんは」
「妄想に生きるって、心地いいことでもあるからね。宝くじを買っただけで当選したような気になって無駄遣いしてしまう人がいるみたいだよね」
「ところで彼の生活を立て直すには、どうすればいいと思う?」
「まずは心のなかにあるこだわりのバケツをからっぽにして、聞く耳をたてることだと思うよ。そして夢を持ちつつ、食べていけるお金を稼ぐ。そうやって、まずは生活の基盤を整える。今はどこだって人手不足だから仕事は選ばなければいくらでもあるしね」
「人の意見を聞くってことは素直になるってことだよな。案外、それがいちばん難しいかも。まあいいか、Tさんのことは。いちおう義理ははたしたからな」
「うん、そうだね、パパ。それよりも駄菓子屋へ行こうよ」
「おーし、行こう!」
うーにゃんとパパは、ワクワクしながらアメちゃんを買いに出かけたのである。
うーにゃん先生流マインドフルネス
米アップル社創業者、スティーブ・ジョブズが傾倒していたことで、米国のビジネス界で脚光を浴びている禅。
宗教色を排し「マインドフルネス」としてアレンジされ、瞑想を通じて自身の深い心のあり様を見つめ、経営判断や、仕事のストレス緩和に活用されています。
その源流にある禅宗の文献からまとめられ、日本では多くの経営者により愛読されてきた禅語を「うーにゃん先生の禅語」として連載でお届けします。
情報過多の時代に生きる私たちが、シンプルに本質を判断し、次の一歩を後押ししてくれるヒントが必ず見つかるはずです。
ZEN(禅)マスターは
年齢:12才、性別:♀、猫種:キジトラ、名前:うーにゃん先生。
一見平凡な猫に思えて、その実、深い知識と教養を備えたうーにゃん先生とその飼主である「みゆ」との会話を通して、禅語の本質を平易に解き明かします。
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