冷暖自知
日曜の午前、遅めのブランチのあと、みゆはママに尋ねた。
「ビットコインとかの仮想通貨って、かなり乱高下しているけど、いま買い時だと思う?」
「そんなこと知らないわよ。パパに聞いてみたら?」
「パパに聞くと、いろいろ難しい話になるし」
「じゃあ、うーにゃんに聞いたら?」
「なんか、ネコに聞くのは癪にさわる」
会話の最中、パパが現れた。
「なにを聞きたいだって?」
みゆとママは顔を見合わせ、苦笑いする。
みゆの質問を聞いて、パパは「みゆはどう思う?」と言う。
「うーん、わかんない」
「仮想通貨を買う目的はなに? 決済手段として便利だから? あるいは儲かりそうだから?」
「儲かるかもしれないから」
日曜の朝の話題としてふさわしいとは思えなかったが、パパは咳払いをして話し始めた。
「決済手段に過ぎなかったお金が投機の対象になっているけど、どうしてだと思う?」
「儲かりそうだとみんなが思っているからじゃない?」
「じゃあ、円もそうだけど、仮想通貨そのものに価値はあるの?」
「ないよね。お札はただの紙だし、仮想通貨は紙でもない」
「なのに、なんで価値が上がるわけ?」
「みんなが価値があると認めているからじゃないの」
「あたり。じゃあ、みんなが価値を認めなくなったら?」
「価値はなくなるよね」
そこでパパは大きな声でうーにゃんを呼んだ。
若い頃なら数秒とたたず現れたが、少し歳を召した今は動きが緩慢だ。
「おっす、うーにゃん。相変わらず眠そうだな」
ムニャムニャ……。
うーにゃんは、言葉にならない言葉で返答する。
「仮想通貨は買いかどうかという話をみゆとしていたんだけど、うーにゃんは、どう思う?」
「うーは1円も持っていないからなんにも買えないけど、もし持っていたとしても買わない」
「なんで?」
「だって、バブルだもん。弾けないバブルはないでしょう?」
「要は、いま仮想通貨がバブルのどのへんかということだ」
「円とかドルとかの通貨は国が後ろ盾になっているから、国のファンダメンタルズを反映しているけど、仮想通貨は保証する後ろ盾がないから不安だよね」
「ネコのくせにファンダメンタルズを持ち出してきたか」
そう言われて、うーにゃんは少しむっとした。
「問題は、いつ下るか? チキンレースみたいなもんだ」
うーにゃんが現れてから、パパとうーにゃんの会話になった。
「ところで、バブルはだいたい30年おきに発生すると言われているけど、どうしてだと思う?」
「それは簡単だよ。世代交代する期間がだいたい30年だから」
「さすがはうーにゃん。ネコとは思えない」
うーにゃんは誇らしく胸を張った。
「だって、バブルが弾けるということは、たくさんの人がひどい目に遭うということでしょう? ひどい目に遭った人はもう二度と投機には手を出さないよ」
「要するに、学習効果ということか」
「その替わり、まだ体験していないヒトが同じ轍を踏む。昭和から平成にかけてのバブルからちょうど30年だよ」
「それを教訓として禅の言葉で表すとしたら?」
「冷暖自知、かな」
「その心は?」
「実際に体験しないとほんとうのところは理解できないということ。冷たいのも熱いのも、実際に触ってわかるもの。うーは一度、使い終えたばかりのガスコンロに触って火傷したことがあるよ。それ以来、ガスコンロには近づかないもの」
「経験から学ぶということだな」
「でもね、うーはそれだけでは足りないと思っている。痛い思いをしたら、だれだって手を引くじゃない。でも、そうなる前に結果を予測して、行動できるかどうかが大切なんだと思う。およそ30年おきにバブルが発生しているというのは、ニンゲンが過去の教訓を活かせていないという証だよね」
「えらい! さすがはうーにゃん」
パパはおおげさに褒めた。
「そんなわけだから、仮想通貨を買うかどうかは、ひとえにみゆの見識にかかってる。さあ、どうする、みゆ?」
「買わない。だって、高値で売り抜ける自信はないし、せっかく貯めたお金が泡のように消えてなくなるのは悔しいもの」
「まあ、それが賢明かも」
そのとき、みゆは悟った。1円も持っていないのに文化的な暮らしができるうーにゃんこそ、人生の達人だと。
うーにゃん先生流マインドフルネス
米アップル社創業者、スティーブ・ジョブズが傾倒していたことで、米国のビジネス界で脚光を浴びている禅。
宗教色を排し「マインドフルネス」としてアレンジされ、瞑想を通じて自身の深い心のあり様を見つめ、経営判断や、仕事のストレス緩和に活用されています。
その源流にある禅宗の文献からまとめられ、日本では多くの経営者により愛読されてきた禅語を「うーにゃん先生の禅語」として連載でお届けします。
情報過多の時代に生きる私たちが、シンプルに本質を判断し、次の一歩を後押ししてくれるヒントが必ず見つかるはずです。
ZEN(禅)マスターは
年齢:12才、性別:♀、猫種:キジトラ、名前:うーにゃん先生。
一見平凡な猫に思えて、その実、深い知識と教養を備えたうーにゃん先生とその飼主である「みゆ」との会話を通して、禅語の本質を平易に解き明かします。
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