桃花紅李花白
ドアの隙間から、みゆが声を押し殺して泣いているのが聞こえた。うーにゃんは体をくねらせてすり抜け、そっと近づいて言った。
「どうしたの、みゆ?」
みゆはうーにゃんに気づかない。
うーにゃんはパパとママがいるリビングに行って、「みゆが泣いているみたいだよ」と言った。
「財布でも落としたんだろう」
「あら、どうしたのかしら。珍しいわね。うーにゃん、落ち着いたら、理由を聞いてみて」
パパもママもあまり深刻に受け取っていない。みゆに悩みはないと思い込んでいるようだ。
うーにゃんはそれから1時間くらい、みゆの傍らでじっと見守っていた。なにしろネコだから、待つことは苦ではない。落ち着いたころを見計らって尋ねた。
「どうしたの?」
「え? あ、うーにゃん」
みゆはうーにゃんに気づき、ぎゅっと抱きすくめた。うーにゃんの柔らかな体は、ぐにゃっとつぶれそうになった。
みゆは、問わず語りに訥々と言った。ずっと好きな人がいて、告白したのだが、想いが叶わなかったのだ。
「その人、好きな人がいるんだって。それがね、わたしの友だちなの」
みゆはまた顔を歪め、泣きそうになった。
「彼女の方が可愛いからかも。目もぱっちり大きいし、ハーフみたいだし」
みゆが彼女と自分を比べてため息をついたのが、うーにゃんにもわかった。
「みゆだって素敵だよ。もし、うーがニンゲンの男だったら、ぜったいみゆが好きになると思う」
「うーにゃんに好かれてもねぇ……」
「だって、みゆはだれとでも仲良くやれるし、聞き上手だし、仕事も一生懸命やるし、オシャレに気を使うし、気持ちが安定しているし。みゆに告白されたのに他の人がいいなんていう男はそれだけのヒトだったんだよ。みゆの良さをきちんとわかって、みゆを幸せにしてくれるヒトが必ず現れるよ」
「そうかなあ。なんか、自信なくなっちゃった」
みゆは、茫然とうなだれた。
「桃花紅李花白(とうかはくれないりかはしろ)という言葉があるよ、みゆ」
「また禅の言葉でしょう?」
「うん、でも、心の支えになるときもあるでしょう?」
「まあ、時にはね……」
みゆはこれまでにうーにゃんから禅語を教えてもらって、気持ちが楽になったことが何度もあったことを思い出した。
「どういう意味?」
「桃の花は赤くて、すももの花は白いってこと」
「な〜んだ。当たり前の話じゃない」
「そうとってしまったら、それで話は終わってしまうよ。桃もすももも、それぞれに自分の色をもっていて、それで調和しているということ。例えば、すももが桃の色に憧れてピンク色になったらヘンでしょう?」
「まあね、言いたいことはわかる」
「桃はすももになれないし、すももも桃になれない。みゆもその彼女にはなれない。彼女だってみゆになれない。だから、比べる必要なんてひとつもないの。うーだって、以前はペルシャ猫とかシャム猫とか、高貴なネコに憧れたことがあるけど、いまはキジトラで良かったと思ってる。だって、みゆもパパもママもこの柄のネコが好きだって言ってくれるし。それにこう言ってはなんだけど、キジトラって世界標準なんだよ。体は丈夫だし、頭もいいし」
「それって自慢?」
「てへ」
うーにゃんは照れながら足を舐めた。
「それにね、桃もすももも、春になったら気持ちよさそうに花を咲かせるじゃない。自分の色で。それがとても素敵なことなんだよ。だから、みゆも春がくれば自然と花を咲かせるよ」
「それはいつ?」
「ヒトそれぞれだから、それはだれにもわからない。でも、必ずくる。だから、それまで自分の色を大事にすればいいのよ」
「自分の色を大事にするって?」
「さっき、うーが言ったじゃない。みゆの長所。もっと言ってあげようか?」
「うん、言って言って」
うーは思いつく限り、みゆの長所を並べた。みるみるみゆの表情が明るくなった。
ドアの隙間から二人の様子を眺めていたパパは、ママにこうつぶやいた。
「うーにゃんにご褒美をあげなさい。カマンベールチーズを丸ごとひとつ」
「また? あなた、うーにゃんに甘いんだから」
みゆの部屋から、みゆとうーにゃんの笑い声が漏れてきた。
うーにゃん先生流マインドフルネス
米アップル社創業者、スティーブ・ジョブズが傾倒していたことで、米国のビジネス界で脚光を浴びている禅。
宗教色を排し「マインドフルネス」としてアレンジされ、瞑想を通じて自身の深い心のあり様を見つめ、経営判断や、仕事のストレス緩和に活用されています。
その源流にある禅宗の文献からまとめられ、日本では多くの経営者により愛読されてきた禅語を「うーにゃん先生の禅語」として連載でお届けします。
情報過多の時代に生きる私たちが、シンプルに本質を判断し、次の一歩を後押ししてくれるヒントが必ず見つかるはずです。
ZEN(禅)マスターは
年齢:12才、性別:♀、猫種:キジトラ、名前:うーにゃん先生。
一見平凡な猫に思えて、その実、深い知識と教養を備えたうーにゃん先生とその飼主である「みゆ」との会話を通して、禅語の本質を平易に解き明かします。
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