前後際断と一行三昧
「ただいま」
みゆがそう言って玄関を開けた時、うーにゃんが玄関先で待っていた。
「おかえり」
「あれ? わたしが帰ってくるの、なんでわかったの?」
「楽しそうに帰ってくる時は、なんとなくわかるんだよ」
ほんとうにそんなことがあるのかな? みゆは腑に落ちなかったが、それよりも、うーにゃんに聞いてもらいたいことがたくさんあったので外出着のまま話し始めた。
30分くらい聞き役を務めたうーにゃんは、みゆが一息ついた隙に言った。
「みゆはなんでも楽しいんだね。子供の頃と全然変わらないよ」
聞けば、大学時代の友人とバッタリ顔を合わせてカフェで雑談したこと、取引先の担当者からアイスクリームをごちそうしてもらったこと、デパートのショーウインドウで見た贔屓のブランドの新作バッグのこと、彼氏から旅行に誘われたこと、ママに教えてもらったアップルパイを作ったけど、似ても似つかぬものになってしまったことなど、面白おかしく語ったのだ。
「この前もパパが言ってたよ。みゆはいつも精神状態がフラットだけど、あの娘は落ち込んだことはないのかなって」
「ひどいね、パパ。わたしがすごく鈍感だって思っているんじゃない?」
「ううん、ちがうよ。みゆはいつも楽しそうだから、親としてはありがたいって言ってた。うーもそう思うよ。気分にムラがあったり、わけもなく不機嫌だと、周りの人が困ってしまうもの」
それから、どうしてみゆは心がフラットなのか、楽しいことが多いのか、という話題になった。
「簡単に言えば、前後際断と一行三昧(いちぎょうざんまい)だよね」
うーにゃんが言った。
「前後際断と一行三昧? またまたうーにゃん先生は難しいことを言うんだね」
「二つは同じようなことを言っているんだよ。つまり、過去のことや未来のことを思い煩わないで、たった今、取り組んでいることに全力を傾けるってこと。悲観的に考えてしまう人って、過ぎてしまったことをいつまでもウジウジと考えていたり、これから起こるかもしれないことをああでもないこうでもないと考える習慣がついている。ニンゲンの悩みのほとんどは過去のことと未来のこと。だからこそ、目の前のやるべきことに意識を向け、一心不乱に行えば、よけいな心配ごとから解放されて、いつも風通しのいい心もちでいられる。ね、それってみゆのことだよね」
「うーん、たしかに、わたしは目の前のことに没頭してしまうタイプかも。だって、世の中はおもしろいことでいっぱいなんだもの」
「そう思えるのはみゆの特長でもあるよ。そう思えない人は、努めてそういう気持ちになって、それを習慣化すればいいんだ」
「そういうもんかなあ」
「そういうもんだよ。もうひとつ、どういう人とおつきあいしているかっていうことも大事だよ。類は人を呼ぶって言うじゃない? だから、気持ちが煮詰まってきたら、できるだけ明るい人に会うと流れが変わるよ。もっとも、みゆは人が集まってくる方だと思うけど」
「そうなんだよね。だから、交際費がかかるんだよね。先月なんか、結婚式に4回もよばれた。ことぶき貧乏になりそう。それがなかったら、うーにゃんにモンプチとカマンベルチーズをたくさん買ってあげられたんだけど」
「ありがとう。その気持だけで嬉しいよ、うーは。大丈夫、パパにねだってうんと買ってもらうから」
「なんだかんだ言って、うーにゃんもお気楽だよね」
お気楽な二人はいつまでも喋り、笑い転げた。
ドアの隙間から二人の様子を見たパパは、「ったく、どこまでもフラットなヤツらだ」とつぶやいて、そっとドアを閉めた。
うーにゃん先生流マインドフルネス
米アップル社創業者、スティーブ・ジョブズが傾倒していたことで、米国のビジネス界で脚光を浴びている禅。
宗教色を排し「マインドフルネス」としてアレンジされ、瞑想を通じて自身の深い心のあり様を見つめ、経営判断や、仕事のストレス緩和に活用されています。
その源流にある禅宗の文献からまとめられ、日本では多くの経営者により愛読されてきた禅語を「うーにゃん先生の禅語」として連載でお届けします。
情報過多の時代に生きる私たちが、シンプルに本質を判断し、次の一歩を後押ししてくれるヒントが必ず見つかるはずです。
ZEN(禅)マスターは
年齢:12才、性別:♀、猫種:キジトラ、名前:うーにゃん先生。
一見平凡な猫に思えて、その実、深い知識と教養を備えたうーにゃん先生とその飼主である「みゆ」との会話を通して、禅語の本質を平易に解き明かします。
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