主人公
「まさしく、隣の芝生はきれいに見える、だね」
うーにゃんは読んでいた新聞から目を離し、つぶやいた。うーにゃんは起き抜けにモンプチを一袋食べ、温めのカフェオレを飲みながら新聞を読むのが習慣だ。
「どうしたの? やぶからぼうに」
みゆが訊くと、うーにゃんは新聞をみゆに差し出し、「ここ読んでみて」と言った。
人生相談のコーナーだ。投書の主は20代前半の女性。実家暮らしでアルバイトをしている。交際している人がいるが、あまり熱が入らない。時間をもて余し、ついスマホに手が伸びる。気がつけば3時間くらい過ぎていることが何度もある。そのたび他人の生活が羨ましくなり、自己嫌悪に陥る。なにか打ち込めるものを見つけようと思うが、どうしてもスマホを見ずにはいられず、時間をムダにしてしまう。そして、自分は人に比べ、なにもできないと思い知らされ、憂鬱になる、おおむねそのような内容だった。
「わたしもスマホは手放せないからわかるよ、この気持ち。ときどき、フェイスブックで大学の同級生の動向を見ることがあるけど、やっぱり羨ましいと思うことがあるし。うーにゃんはスマホを持っていないからわからないでしょう?」
「どうせ、ネコの指じゃ操作できないですよーだ」
うーにゃんは、少しむくれたような言い方をした。
「ハハハハ、そうだよね。ネコがスマホをいじっているところなんて、見たことないもんね」
うーにゃんはうなだれた。
「ごめん、うーにゃん。許して。デリカシーのないことを言っちゃって」
みゆはうーにゃんに向かって頭を下げた。
「それより、うーにゃんならどう答える? そのうち人生相談の回答者として依頼がくるかもしれないじゃない? 予行演習してみようよ」
うーにゃんは一瞬にして気を取り直した。
「人と比べるのは意味がないとか、もう比べるのはやめなさいと言っても、それができなくて相談しているわけだから、ひとことで諭すのは難しいよね。スマホを取り上げるのもいい考えだとは思わないよ。なくなったらよけい欲しくなるから」
うーにゃんはスラスラと言った。
「じゃあ、どうすればいいの?」
「スマホでなにを見ているかといえば、ラインかフェイスブック、ニュース、ショップサイトが多いみたいだよね。フェイスブックにアップする内容は、その人のハレの部分が多いから、それを鵜呑みにしても仕方ないよ。実際は地味な部分がたくさんあるけど、それはあえて出していないんだから」
「それはわかる。インスタだって、その人のハレの部分だよね」
「そう。だから、そういうものを見るんじゃなく、まずは楽しく何かを学べるサイトを見つけて、それをお気に入りに登録し、毎日読むという習慣にしたらいいんじゃないかな。読んで気づいたことをノートに書く。すると、いろいろなことがわかってくるし、それについてもっと知りたいという意欲も湧いてくる。教養を高めたり、思考を深められるサイトはたくさんあるよ。そうやって、主人公の地位を奪い返す。そうすれば、半年後にはずいぶん変わっているよ」
「主人公の地位?」
「そう。投書の人は、言ってみれば道具に使われている奴隷の身。ほんとうは自分の人生の主人公は自分なのに、道具であるスマホが主人公になってしまっている。スマホは道具としてはすごい能力をもっていると思うけど、自分を振り回す主になっては本末転倒だよね。うーは使っていないから、細かいところまではわからないけど」
「たしかにそうだね。自分が主役になって、うまく道具を使いこなす。それならできそうだよ。それにしても自分の人生の主人公かあ……。さすが、うーにゃん先生はうまいこと言うね」
「主人公って、もともと禅の言葉なんだよ。映画やドラマの用語じゃなくて」
「そうなんだ。わたしもときどき、自分がスマホに操られていると感じる時があるんだけど、うーにゃんの言ったことを思い出して、気をつけるよ」
「パパのお友だちで、スマホを持っていない人がいるんだけど、その人の言葉がかっこいいんだ。『便利は楽。不便は楽しい』。楽と楽しいは同じ字を使っているけど、意味はぜんぜんちがう。楽することばかり考えていると、ほんとうに楽しいと思えることがどんどん減ってしまう。でも、少しくらい不便でもいいとか、あるいは積極的に不便にしてしまうと、なにをしても楽しめるらしいよ。目当ての店をスマホに誘導されて行くよりも、自分の勘を使って、回り道しながら探し歩いて、ようやく見つけた時は感動するって。結局、日常には感動できる可能性がたくさんあるのに、便利ばかりを優先しているから、それに気づかないだけなんだよね」
「そうかあ、便利は楽、不便は楽しいかぁ。今日はいいこと聞いちゃった。うーにゃん先生、いつもありがとうね」
うーにゃんは照れているのか、右手で頭を掻いている。
その指と肉球ではスマホを操作することはできないと、あらためて思ったみゆであった。
うーにゃん先生流マインドフルネス
米アップル社創業者、スティーブ・ジョブズが傾倒していたことで、米国のビジネス界で脚光を浴びている禅。
宗教色を排し「マインドフルネス」としてアレンジされ、瞑想を通じて自身の深い心のあり様を見つめ、経営判断や、仕事のストレス緩和に活用されています。
その源流にある禅宗の文献からまとめられ、日本では多くの経営者により愛読されてきた禅語を「うーにゃん先生の禅語」として連載でお届けします。
情報過多の時代に生きる私たちが、シンプルに本質を判断し、次の一歩を後押ししてくれるヒントが必ず見つかるはずです。
ZEN(禅)マスターは
年齢:12才、性別:♀、猫種:キジトラ、名前:うーにゃん先生。
一見平凡な猫に思えて、その実、深い知識と教養を備えたうーにゃん先生とその飼主である「みゆ」との会話を通して、禅語の本質を平易に解き明かします。
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