春在一枝中
小一時間ほども過ぎただろうか。みゆはまだ突っ伏してむせび泣いている。みゆの横でうーにゃんは思案にくれている。どうしていいか、わからないのだ。
「いったい、どうしたんだ?」
いつも明るいみゆがずっと泣いているのを知って、パパは扉を開けてうーにゃんに訊く。
「それがねえ……」
うーにゃんは事情を説明した。つまり、こういうことだった。
友人に勧められ、持っているお金の大半をある投資ファンドに投資したのだが、その会社が破綻したという。おまけに、仕事で単純なミスを重ね、最大のクライアントと取引停止になりそうだという。踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂とはまさにこのことだ。
「で、いくら損したんだ?」
パパがそう訊くと、うーにゃんは小声でパパに教えた。
「えー!!!!! そんなに持っていたのかこいつは。それだけあったら、オレの新車の頭金になっただろうが」
「パパ、今はそういう話じゃないよ。デリカシーなさすぎ」
うーにゃんはため息をついた。
「そうかな」
さすがにパパも場違いな発言をしてしまったことを恥じている様子だ。
「それじゃ、これから予定があるし、ここにいるのもなんだから、まあなんていうか、うーにゃんにまかせたぞ。いいな、うーにゃん」
「うん」
パパはそう言いおいて、いそいそと外出した。うーにゃんとママは顔を見合わせてうなだれた。
翌日、みゆは腫れぼったい目をして起きてきた。
「うーにゃん、昨日はありがとう。いっぱい泣いたら、スッキリした」
「それよかったね」
昨夜、うーにゃんはただ黙って、ずっとみゆの傍らにいたのだった。
朝食の後、みゆとうーにゃんは近くの公園を散歩した。
「うーにゃん、抱っこしてあげる。手袋忘れちゃったから手が冷たくて。うーにゃんに触っていると温かいから」
「やったぁ!」
広葉樹はすべて葉を落とし、枝のすき間から雲ひとつない空が見える。
「寒いね」
「うん。大寒だもんね」
ふたりはしばらく黙って歩いた。
「ねえ、みゆ。あれ、見て」
うーにゃんは、指を伸ばして梅の枝を指した。
「ハハハハ、うーにゃんの指、おもしろい」
「うーの指じゃなくて」
みゆはあらためてうーにゃんが指した枝を見つめた。
「梅でしょう? それがどうしたの?」
「気休めかもしれないけど、みゆはこの梅と同じだよ。ほら、芽がパンパンに膨らんでいるでしょう?」
「うわー、ほんとだ」
「春在一枝中(春は一枝の中にある)という禅の言葉があるんだけど、いちばん寒い季節なのに、芽が膨らんでいる。一本の枝に春があるっていうことだよ。みゆの中にも春があると思うんだ」
「……」
「誘われてファンドに投資をするのが悪いとは言えないけど、儲け話にはそれなりのリスクがあるということを忘れていたというのも事実だよね? ふつうでは考えられないようなミスを何度も犯してしまったのは、どこかに心のゆるみがあったからでしょう? 今回の件はみゆにとって大きな代償だったと思うけど、これを意義あるものにするには、これから同じ失敗を繰り返さないってことだよ」
「うん、そうだね」
「いろいろな人の伝記を読んでいると、必ずなんらかの失敗をしている。そして、それを活かして成功している。この世の中は、失敗しないと成功しないうようにできているみたい」
「じゃあ、わたしも成功するかな」
「するよ、する。みゆは失敗を次に活かすことができる子だよ。うーが保証する」
「うーにゃんに保証されてもねぇ……」
みゆはそう言ったあと、「やっぱり、うーにゃん先生だわ」と言いながら、うーにゃんに頬ずりした。
うーにゃんは春の匂いがした。
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