「一無位真人」(いちむいのしんにん)
うーにゃんは、みゆの足音だけで、彼女の心の風景が読める。ネコは字が読めなくても、いろいろなものが読めるのだ。
「ねえ、うーにゃん先生」
やっぱりきたかあと思いつつ、うーにゃんは眠ったフリをしていた。
「ねえ、うーにゃん先生ってば」
うーにゃんはむにゃむにゃ、すーすーと寝息のような音をわざとたてた。
「わかってるんだから、眠ったフリをしてるのは」
どうやら、みゆもうーにゃんが眠ったフリをしているのはわかるらしい。みゆが中学生のころ、この家にきたのだから、かれこれ12年のつきあいになる。
「どうしたの?」
しかたなく、うーにゃんは聞いた。どうせまた相談ごとにちがいない。先生と呼ぶときはいつもそうなのだ。
「それがね、先月、囲碁クラブに入ったって言ったよね。そこに来ているオジサンがすごくいやみなんだ」
──そういえば、〝囲碁ガール〟とかいう女子が増えているらしいけど、まさかうちのみゆが囲碁をやるとはねぇ〜。
うーにゃんはそう思いつつ、耳を立てて前に向け、〝聞く耳〟にした。
「だって、なにかというと学歴とかサラリーマン時代の肩書きをジマンするんだよ。ぼくはT大を出ているんだけど囲碁の基本を教えてやろうかとか、ぼくはM商事で営業部長をやっていたからなんでも相談してよとか言っちゃって。そんなの聞いてないって。近くにいるだけでジンマシンができそう」
──ははぁ~、そんなことか。ニンゲンのサガだねぇ。
そして、こう言った。
「一無位真人って聞いたことある?」
「え? いちむいのしんにん? なに、それ」
うーにゃんはときどき禅語で的確なアドバイスをしてくれる。飼い猫にアドバイスしてもらうのはシャクにさわるが、背に腹は替えられない。なにしろ、うーにゃんのアドバイスはいつも効果テキメンなのだ。
「ニンゲンはほかの動物よりエライと思っているらしいけど、わたしらネコから見れば、よぶんなものばっかり背負い込んでいるように見えるよ。たとえば、キョエイシンとか。ほんとうはありのままの自分でいれば心がラクなのに、どうしても人から良く見られたくて、いろんなものを身にまといたがる。そのオジサンもそうだよ。いくつも貝殻を背負って歩くヤドカリみたいで、コッケイだわ」
「じゃあ、そういうオジサンとはどう接すればいいのよ」
「だから一無位真人なんだって」
「それじゃわかんないよ」
「位とか役職なんか取っぱらって、本来の自分でいることが大切ということなんだけど、そういう言葉があるのは、すべての人にキョエイシンがあるからだよ。論語だって、世の中がそうじゃないから生まれた。だって、みんながそうだったら、あえて言葉にする必要はないでしょう?」
「まあ、そう言われてみればねぇ」
「みゆにもキョエイシン、あるよね?」
「うーん、たしかにあるかも。無意識のうちに人と比べて優越感や劣等感に浸っているときがあるから」
「だれにでもキョエイシンはあるよ。それはどうやってもなくすことはできないの。修行を積んだ人は知らないけどね。それにキョエイシンって、ニンゲンが成長する源にもなるんだよ。ただ、それがオモテに出すぎるとカッコ悪い」
「そうか。キョエイシンがある自分を認め、オモテに出てきそうになったら、そのオジサンのことを思い出せばいいんだ」
「そういうこと。注意して見れば、まわりにはいいお手本、悪いお手本がたくさんあるでしょう?」
「そうか。ありがとう。うーにゃん先生。ところでうーにゃんにはキョエイシンはないの?」
「ネコにはないの。ほかの生き物にもないの。あるのはニンゲンだけ」
そう言ってうーにゃんは耳を伏せ、寝る態勢に入った。
うーにゃん先生流マインドフルネス
米アップル社創業者、スティーブ・ジョブズが傾倒していたことで、米国のビジネス界で脚光を浴びている禅。
宗教色を排し「マインドフルネス」としてアレンジされ、瞑想を通じて自身の深い心のあり様を見つめ、経営判断や、仕事のストレス緩和に活用されています。
その源流にある禅宗の文献からまとめられ、日本では多くの経営者により愛読されてきた禅語を「うーにゃん先生の禅語」として連載でお届けします。
情報過多の時代に生きる私たちが、シンプルに本質を判断し、次の一歩を後押ししてくれるヒントが必ず見つかるはずです。
ZEN(禅)マスターは
年齢:12才、性別:♀、猫種:キジトラ、名前:うーにゃん先生。
一見平凡な猫に思えて、その実、深い知識と教養を備えたうーにゃん先生とその飼主である「みゆ」との会話を通して、禅語の本質を平易に解き明かします。
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