樹揺鳥散 魚驚水渾(樹揺れて鳥散じ 魚驚きて水にごる)
夜おそく、みゆがほろ酔い気分で帰ってくると、リビングの方でなにやらガサガサと音がする。
うーにゃんがなにかを探していた。長年、ニンゲンといっしょに暮らしているうーにゃんだが、夜型の生活習慣は変わらない。
「うーにゃん、なにしてるの?」
「あ、おかえり、みゆ。このあたりにピンポン球があったと思うんだけど……」
「まだそんな遊びに夢中なの? 子供みたい……」
「暗いところで転がすのって、けっこうおもしろいのよ。みゆもいっしょにやろうよ」
「はぁ~、……ったくもう」
みゆは大きなためいきをもらした。
「ネコは気楽でいいなあ。こんど生まれ変わったら、ネコになりたいよ、もう~……」
ピンポン球を見つけたうーにゃんは、いきなりダッシュを始めた。手でピンポン球を転がしながら、部屋のなかを縦横無尽に駆けめぐっている。アイスホッケーの選手のように、なめらかで力強い動きだった。
ひとしきり球転がしを楽しんだあと、うーにゃんは仰向けに寝転がり、息を整えている。
「ねえ、うーにゃん先生、聞いてよ」
「……セ・ン・セ・イ? またなにか相談ごとでもあるの?」
「相談ごとってほどでもないんだけどさぁ……。ひさしぶりに高校時代の同級生と会って飲んだんだけど、なにかがちがうっていうか……」
「なにが、どうちがうの?」
「なんか話がかみ合わないっていうか。人のうわさ話や悪口ばっかりで、ぜんぜんおもしろくないんだよ。いちおう相づちはうっておいたけど、どっと疲れちゃった」
「なるほどね。で、いっしょに飲んでいて楽しい友だちもいるんでしょう?」
「もちろん、いるよ。たくさんいる」
うーにゃんはみゆの前にネコ座りして、念仏を唱えるかのようにつぶやいた。
「樹揺鳥散 魚驚水渾(樹揺れて鳥散じ 魚驚きて水にごる)」
「また難しそうなこと言って。だいたい字が読めないと言っているわりに、どうしてそんな言葉を知ってるわけ?」
「うーは字の意味を直感で理解するの。ま、ニンゲンに説明してもなかなかわかってもらえないと思うけど」
「ふ~ん。で、その樹がなんたらかんたらっていう言葉、どういう意味なのよ」
「樹の枝が揺れて枝にとまっていた鳥が飛び立って、魚がなにかに驚いて急に動き出したから砂で水がにごったという話」
「あたりまえじゃない。だからなに? って話よね」
「そう決めつけてしまうと大切なことが見えてこないよ。なにごとも原因があって、結果があるってこと。樹が揺れる前にはいろんな原因があるし、鳥が飛び立っていったあと、なにかが起きる。この世の中は、そういう小さな原因と結果が無数につながっているの。樹のタネがそこに落ちるまでのプロセスや、どんな角度で日が当たったかとか、なぜ鳥がその枝を選んだかとか、数え切れないほどの原因がつながってひとつの結果になって、いまがある。うーとみゆがここにいるのもそう。ただの偶然じゃないんだよ」
「まあね、そう言われてみればそうだと思うけど、それとひさしぶりに会った友だちのことはどうつながってくるの?」
「ニンゲンには2種類の住所があるのよ、みゆ。ひとつはこの住まいの住所。もうひとつは、どういうニンゲン関係のなかにいるかという住所。悪い人って悪い人同士でつるんでいるじゃない? それがその人たちの住所なの。前向きな人は同じような人がまわりにたくさんいるでしょう? 自分で選んだひとつひとつのことが今のニンゲン関係の住所になっているってことなの。だから、会っていてヘンだなって思ったら、離れることを恐れちゃダメ。だれとでも仲良くというのは、自然じゃないよ。いまはSNSとかで必要以上にたくさんの友だちとつながろうとするけど、それが心を乱す原因なの。ほんとうに心が通じる人が少しいれば、それでいいのよ。それがニンゲン関係の住所を決めるということなの」
「じゃあ、会っていてつまらないと思ったら、無理しておつきあいしなくてもいいということ?」
「そういうこと。でも、距離のおき方は大切よ。波風立たないように、それとなく距離をおく。それが大人のニンゲンとして大切なこと」
「へぇ~。なんか、うーにゃん先生って、いろんなことがわかってるんだね。ところでうーにゃんにはそういう友だちはいるの?」
「うーは飼い猫だから、ほかのネコとおつきあいがないからね。そのかわり、みゆがいるし、パパもママもいる。それでじゅうぶんよ」
「うーにゃん……」
感極まったみゆはうーにゃんに抱きつき、うーにゃんの豊満な体に頬ずりをするのであった。
うーにゃん先生流マインドフルネス
米アップル社創業者、スティーブ・ジョブズが傾倒していたことで、米国のビジネス界で脚光を浴びている禅。
宗教色を排し「マインドフルネス」としてアレンジされ、瞑想を通じて自身の深い心のあり様を見つめ、経営判断や、仕事のストレス緩和に活用されています。
その源流にある禅宗の文献からまとめられ、日本では多くの経営者により愛読されてきた禅語を「うーにゃん先生の禅語」として連載でお届けします。
情報過多の時代に生きる私たちが、シンプルに本質を判断し、次の一歩を後押ししてくれるヒントが必ず見つかるはずです。
ZEN(禅)マスターは
年齢:12才、性別:♀、猫種:キジトラ、名前:うーにゃん先生。
一見平凡な猫に思えて、その実、深い知識と教養を備えたうーにゃん先生とその飼主である「みゆ」との会話を通して、禅語の本質を平易に解き明かします。
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