無余無欠
「うーにゃん、ありがとね」
うーにゃんは毎日掃除の手伝いをしている。しっぽを巧妙に使って、人間の手では届かないところの埃をはらう。掃除を終えた後、ママにしっぽを洗ってもらう時が至福の時だ。役に立っていると実感できるからだ。
ネコが掃除をしているというのに、みゆはまだゴロゴロしている。
「ねえ、早く起きてよ、みゆ」
うーにゃんはみゆの耳元で大きな声を出した。
「うるさいなあ、もう……」
「最近、ゴロゴロしてばかりじゃない。仕事、行かなくていいの?」
「いいの。がんばったって、どうせ同じだもん」
「あんなにはりきってたのに。なにかあったの?」
「う〜ん……」
みゆはベッドの上であぐらをかき、ぽつぽつと話し始めた。
どうやら仕事で失敗がつづき、自信をなくしてしまったようだ。最後に大きくため息をついて、こう言った。
「わたしなんか存在価値ゼロ。ひきこもりたい気持ちがわかってきたよ」
「存在価値がない人なんて、世の中にいないよ」
「そんな、うーにゃんはきれいごとばっかり言って。きちんとまわりを見てごらんよ。うまくいっている人とそうじゃない人のちがいははっきりしているじゃない」
「それと存在価値はべつ問題よ」
うーにゃんは、そう言ってまじめな表情をし、ネコ座りした。
「無余無欠。この言葉をしっかりと頭のかたすみに入れておいて」
「ムヨムケツ? なにそれ?」
「余分なものもないし、欠けているものもない。すべてが合わさって完璧に調和が保たれているってことよ」
「また難しいこと言っちゃって。もっとわかりやすく説明してよ」
うーにゃんは、いったん身づくろいをした後、みゆの目をしっかりと見ながら話し始める。
「全員がヴァイオリンを弾いているオーケストラってある? みんながピッチャーの野球チームってある? 全部が同じ形のパズルってある? みんなが同じ形の魚だったら水族館に行く? どんなものでもそうだけど、みんなちがってあたりまえってことをもう一度肝に銘じて」
「それはわかっているけど……」
「動物界を見てみて。百獣の王と言われているライオンだけが存在価値があるの? 生態系をたどっていくとわかるけど、目に見えないバクテリアとかがいなかったらライオンだって存在できないんだよ」
「それはそうだけど……」
「みんなそれぞれに役割があるの。この宇宙をつくったのがだれかわからないけど、ひとつもむだなものがないからこそ、ずっと昔からバランスがとれているのよ」
「そうはいっても、だめなものはだめじゃん。現にわたしはどんなにがんばったって、人に迷惑かけるだけだもの。それならなんにもしない方が世の中のためじゃない」
「それは全体の中で自分がどういう役割があるか、まだ見えていないからだよ。かならずその人に合った役割がある。それを真剣に求めれば、必ず見つかる。でもね、それまでは時間がかかるの。パパも言っているでしょ? すぐに得たものはすぐに失われるって」
「その言葉は聞き飽きたよ。じゃあ、いつまで待てばいいの」
「それはわからない。それも個性だから。一人ひとりの違いだから。考えてみて。結果がすぐに出ないからこそ、それまでのプロセスが楽しいんじゃない」
「まあね。考えようによっては……。じゃあ、うーにゃんの役割って、なんなのよ」
言われて、うーにゃんは腕組みをして、しばらく考え込んだ。
「あらためて考えたけど、うーの役割ははっきりしてる。みゆやママやパパの心を和ませること。ほんの一瞬でもいいの。ニンゲンはいろいろわずらわしいことが多くてたいへんだから。和める時間があるかないかで、心もちが変わってくるでしょう? だから、そのお手伝いをする。あとは、みゆがきちんとした社会人になれるよう、導いてあげることかな」
「なによ、うーにゃん、えらそうに。先生ぶっちゃって」
「てへ」
「たしかに、うーにゃんの気楽そうな顔を見ていたら少しずつ気持ちが楽になってきたわ。この世に余分なものも不足しているものもない。たしかにその通りかも。わたしも自分がなにをすればいいのか、きちんと考えてみるよ」
扉の向こうで二人の会話を聞いていたママは、にっこり微笑んで立ち去った。
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