一片好風光
「す、すごい! あんなに並んでる!」
みゆは小走りに「団子屋」に向かっていたが、行列を見て落胆の声をあげた。ここで団子を買い、横浜や都心を遠目に見ながら食べることを楽しみにしていたのだ。うーにゃんも失望の色を隠せない。
ここは高尾山の中腹にある見晴台である。
「ちーがーうーだーろー! オレが先に注文したんだろ!」
ふと行列の前方で怒声が聞こえた。70歳くらいの男が若い女性店員を叱りつけている。
近くで聞くうち、事情がのみ込めてきた。自分の後に注文した人が先に団子をもらったことに腹をたてていたのだ。
「気にしないで、おねえさん。怒りっぽくて心ない人はどこにもいるから」
パパはつかつかと店員の前に歩み寄り、ふだんの3倍くらい大きな声で店員を慰めている。
──またかぁ……。
みゆは、それを聞いてひやひやした。争いごとにならなければいいのだけど……。
70男はギロリとパパを睨んだ。しかし、パパはどこ吹く風で、ビートルズの『ゲット・バック』のサビの部分を大きな声で歌っている。
──なんという皮肉。
男は機先を制されて、すごすごと引き下がって行った。
「気持ちいいなあ」
パパは深呼吸をした後、団子を頬張る。せっかちだから、いっぺんに口に入れてもぐもぐしている。でも、見るからに美味しそうだ。
うーにゃんは団子一個を丸ごと食べることができないため、みゆが適度な大きさにちぎって食べさせる。
「うーにゃん、バテちゃったみたいだね」
みゆはうーにゃんに声をかける。
「だって、山登りなんか生まれて初めてだもの。もうこれ以上歩けないよ」
うーにゃんは弱音を吐いた。
「まったくなあ、ネコは持久力がないからなあ」
パパは痛いところを突いてくる。たしかにネコはダッシュは得意だが、持久力がない。
「みゆ、うーにゃんをおんぶして行きなさい」
「えー! そんな、ムリ。それに目立ちすぎ」
「おんぶがいやなら抱っこしていきなさい」
結局、みゆはうーにゃんを抱っこし、肩のところにうーにゃんの両腕を載せて歩くことにした。福岡に赴任していた3年間以外、幼いころからずっといっしょだから、抱き方も心得ている。
頂上のベンチで弁当をひろげる。晩秋とはいえ、日向にいると体じゅうがぽかぽかしてくる。パパはベンチに座ったまま、眠りこけてしまった。お昼を食べたあと、昼寝をするのはどこへ行っても変わらない。
秋の葉の匂いをたっぷり吸って日々の疲れを癒したあと、みんなで山を下った。
麓のレストランの入口に足湯を見つけた。
「あ、足湯だ。みんなで入ろうよ」
みゆがとっさに言った。
「うーにゃんが入っても大丈夫かしら」
ママは心配そうな面もちだ。
「なーに、大丈夫さ。ここで食事すれば。それにうーにゃんは家族の一員なんだから」
どうもパパの理屈はムリがあるような気がしたが、みんなで足湯に浸かることにした。
「サイコウ〜」
4人の声が重なった。
うーにゃんもみゆに抱っこされ、湯に浸かっている。うーにゃんは天にも昇る心地だった。
「高尾山ってそんなに高い山じゃないけど、同じ高さの駅の階段を昇れって言われたら、どうする?」
パパに問われたみゆは「そんなムリだよ」と答える。
「じゃあ、なんできょうは軽々昇れたんだろうな」
「山だからじゃない?」
「答えになっていないなあ」
「じゃあ、なんなの?」
「体が喜んでいるからだよ。コンクリートの壁を見ながら階段を歩いても体は喜ばないだろ? でも、ここなら空気も旨いし、目に映る景色もいいし、木の葉の匂いもいいし、鳥の鳴き声や風の吹く音が耳に心地いいし、なんでも揃ってる」
「体が喜ぶと力が出るの?」
「あたりまえだよ。体は正直だからね」
「そうかぁ。たしかに体が喜んでいたわ」
「うーにゃんならこの境地をなんと言う?」
おもむろにパパは右手でこぶしをつくり、うーにゃんの顔の前に指しだした。どうやらマイクのつもりらしい。
「一片好風光(いっぺんのこうふうこう)……かな」
「さすがだね、うーにゃん。持久力はないが、ものごとの本質はわかっている」
「どういう意味?」
みゆがうーにゃんに訊いた。
「本来、身の周りには素晴らしいものがあるってことかな。有名な観光地に行かなくても、その気になって周りを見たら、価値のあるものばかり。ほら、あのケヤキの木だって、あんなに素敵でしょう? あんな形、どんなに優れた芸術家も作れないと思うよ」
「その通り。そういうことを忘れると、さっきのオジサンのようになってしまう。ま、流行り言葉を使うあたり、どこまで本気で怒っているかわからないけど、かわいそうな人にはまちがいない。そうならないよう、自分の心と体を喜ばせなきゃ」
そう言って、パパは「Get back to where you once belonged」と歌い出した。
うーにゃん先生流マインドフルネス
米アップル社創業者、スティーブ・ジョブズが傾倒していたことで、米国のビジネス界で脚光を浴びている禅。
宗教色を排し「マインドフルネス」としてアレンジされ、瞑想を通じて自身の深い心のあり様を見つめ、経営判断や、仕事のストレス緩和に活用されています。
その源流にある禅宗の文献からまとめられ、日本では多くの経営者により愛読されてきた禅語を「うーにゃん先生の禅語」として連載でお届けします。
情報過多の時代に生きる私たちが、シンプルに本質を判断し、次の一歩を後押ししてくれるヒントが必ず見つかるはずです。
ZEN(禅)マスターは
年齢:12才、性別:♀、猫種:キジトラ、名前:うーにゃん先生。
一見平凡な猫に思えて、その実、深い知識と教養を備えたうーにゃん先生とその飼主である「みゆ」との会話を通して、禅語の本質を平易に解き明かします。
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