本来無一物 無一物中無尽蔵
ふだん新聞を読まないみゆが、珍しく日経新聞を見ている。
「おもしろい記事、あった?」
「経済の記事ばかりだからあんまり読むところないかも」
「経済情報を得るための新聞だからね」
みゆは新聞を横にしたり斜めにしたり裏返したりして、ふ〜んとつぶやく。
「適正な利益って、どのへんなんだろうね」
うーにゃんの目が輝いた。みゆが大事なことに気づいたと思ったからだ。
「どうして?」
「だってさ、パパがいつも言っているけど、数字って青天井でしょう。どこまでいってもきりがないよね。いろいろなものを犠牲にして、どこまでいってもきりがないものをどこまで追い求めればいいのかな」
「みゆはどう思うの?」
「う〜ん、わかんない」
みゆは腕組みをして考え始める。うーにゃんはその間、トイレを済ませようと思った。
「おー、うーにゃん。お手洗いか? 用が済んだらちゃんとお手を洗うんだよ」
すれちがうとき、パパから声をかけられた。まったくレディの気持ちがわかっていない。
「そもそも会社の業績が悪かったら、社長も社員も不幸になるよね。路頭に迷ってしまうんだから。じゃあ、限りなく頑張ればいいかというと、そうじゃないと思う。仕事がハード過ぎて社員が鬱になったり、資源をムダづかいしたり……。マイナスの面もたくさんあるよね」
「いいところに気づいたね、みゆ。わたしたちネコから見ると、ニンゲンは優れた生き物だと思う反面、どうしようもないほどおバカだとも思う。だって、さっきみゆが言った〝ほどほど〟がわからないんだもの。なんのために仕事をするのかという本来の目的を見失って突き進んでしまう。これは本末転倒で、不幸な人を増やすだけ。食料自給率が低いと言っていながら、毎日大量の食料を廃棄している。矛盾だよね。すべてが経済活動という美名のもとに正当化されてしまっている。そのかげには、無駄死にした生き物がたくさんいるということを忘れている。いつかしっぺ返しがくると思うよ」
「どうすればいいのかな」
「本来無一物だということを、あらためて認識することだよ。だって、どんなに大金持ちになったところで、あの世へ持って行くことはできないんだから。毎日1,000万円使っても使い切れないほどたくさん持っている人が、もっともっとお金を欲しがっている。ほんとうは、ニンゲンを含めてあらゆる生き物が裸で生まれてきて、裸で死んでいくのに、そのことを忘れている。ニンゲン以外のあらゆる生き物は〝ほどほど〟をわきまえているのに、頭がいいはずのニンゲンだけがわきまえていないというのはおかしなものだわ」
「うん、わかる。この記事に載っている会社、いま急成長して株価もうなぎ上りだけど、わたしの知り合いがその会社にいて、この前会ったら、うつ病で心療内科に通院しているって。こっちの記事に載っている会社はきょうだいで相続争いをしているよね。なんかヘンなの」
「ほどほどがわからないからそうなってしまうんだよ。それにね、無一物中無尽蔵という言葉もあるように、よぶんなものを取り払い、残った本質に無限の可能性があるということも肝に銘じるべきだよ」
「それって、例えば子供の頃の遊びと同じじゃない? わたしは松ぼっくり一個あれば、いろんな遊びを思いついたけど、今の子供はそうじゃないと思う」
「みゆは昭和の子供みたいだってパパも言ってた」
「パパも、1ヶ月に1枚しかレコードを買えなかった頃はどれにするか考えすぎて頭が痛くなったって。でも、その頃の感動って、たくさんCDを買える今の感動とはちがうって」
みゆはポテトチップを、うーにゃんはモンプチを食べながら、ずっと話している。みゆにとっては、幸せなひとときだ。ネコの寿命は人間よりはるかに短い。もし、うーにゃんがいなくなったらと思うと、急に悲しくなってきた。
「どうしたの、みゆ。涙を浮かべて」
「なんでもないよ。目にうーにゃんの毛が入っただけ」
二人は笑った。
たくさんあることと少ししかないこと。どちらがいいのかと、みゆは考えた。
「結局、欲望をどう活かすか、だと思うんだよね。世の中にはいい欲と悪い欲がある。自分にとって適度な欲はどのへんか。そういうことを考えながら毎日を生きていれば、大きくはずれることはないよね」
「そう。そのとおり。みゆが自分で出した結論がこれからのみゆを支えてくれるよ」
「ありがとう、うーにゃん先生」
そう言って、みゆはうーにゃを強く抱きしめた。うーにゃんは窒息しそうだったが、得も言われぬ心地よさを感じていた。
うーにゃん先生流マインドフルネス
米アップル社創業者、スティーブ・ジョブズが傾倒していたことで、米国のビジネス界で脚光を浴びている禅。
宗教色を排し「マインドフルネス」としてアレンジされ、瞑想を通じて自身の深い心のあり様を見つめ、経営判断や、仕事のストレス緩和に活用されています。
その源流にある禅宗の文献からまとめられ、日本では多くの経営者により愛読されてきた禅語を「うーにゃん先生の禅語」として連載でお届けします。
情報過多の時代に生きる私たちが、シンプルに本質を判断し、次の一歩を後押ししてくれるヒントが必ず見つかるはずです。
ZEN(禅)マスターは
年齢:12才、性別:♀、猫種:キジトラ、名前:うーにゃん先生。
一見平凡な猫に思えて、その実、深い知識と教養を備えたうーにゃん先生とその飼主である「みゆ」との会話を通して、禅語の本質を平易に解き明かします。
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