一句妙文永劫助
今日は家族4人で神楽坂のイタリアンで夕食を楽しみ、いま、神楽坂を歩いている。
「あれ? いますれちがった人、村田諒太じゃない?」
振り返りながらパパが言った。
「あら、ほんとう。かっこいいわね」
ママの声も弾んでいる。
「村田諒太ってだれ?」
若い女性にボクシングは馴染みがないようだ。
「たしか、神楽坂にあるジムに所属していたよな」
うーにゃんが神楽坂を歩くのは初めてのこと。プロボクサーより、いろいろな店が気になってしかたがない。特にカツオ節を売っている店から漂ってくるえも言われぬ匂いにうっとりした。
自宅に帰ってから、村田選手の話題になった。
「村田と言ったら、エンダムとの最初のタイトルマッチだよな。だれもが勝ったと確信した。コミッショナーだってそう思った。でも、とんでもない判定によってチャンピオンになれなかった。それなのに判定への恨み節はいっさい封印し、堂々とふるまった。さらに試合の翌日、対戦相手のエンダム選手を訪ね、死闘を尽くしたことへの感謝の気持ちを伝えた。まさに若きジェントルマンだよ」
その後の再戦で、村田は見事、エンダムを破り、世界チャンピオンとなった。
「へ〜、そんなことがあったんだ」
みゆは間延びした相槌をうった。
「どうして彼がそういう言動を貫けたか、だ。彼はライン・ホールドニーバーの『変えられるものを変える勇気を。変えられないものを受け入れる冷静さを。そして、両者を識別する知恵を与えたまえ』という言葉をしっかり胸に刻んでいる。だから、ああいうふるまいになるんだよ」
「へ〜、ふつうのボクサーのイメージと違うね」
「たしかにそうよね。ボクサーって、試合の前に対戦相手を汚い言葉で罵ったりするものね」
ママもみゆに同調した。
「村田はロンドン・オリンピックで金メダルをとったあと、プロに転向したんだけど、試合前の重圧に耐えきれなかったらしいんだ。ヘタすりゃ、殺されることもあるからね。そこで、お父さんに電話をかけて心境を打ち明けたらしい。それに対してお父さんはなにも言わず、かわりにニーチェやアドラーやフランクルなどの本を送ったそうだ。これを読めって。彼の信条は、そういう本をたくさん読むことによって涵養されたわけだ」
「カンヨウって?」
「みゆ、語彙が少ないね。本を読まないからだよ。意味は自分で調べなさい」
うーにゃんは興味深そうにパパの話を聞いていた。自分もそうだと思ったからだ。今の家族に引き取られ、家の蔵書を片っ端から読んだことによって人生(ネコ生?)が格段に充実してきた。それを思い返したのだ。
「自分を支えてくれる言葉を持っている人は強い。人はそれを座右の銘と言う」
うーにゃんはフムフムと頷いた。
「うーにゃんなら、座右の銘はいくつもあるだろう?」
「うん、あるよ。特に禅の言葉はうーを支えてくれている」
「そうか。まさに、一句の妙文……」
パパはうーにゃんに後半の言葉を促す。
「永劫を助く、だよね」
「見事だ、うーにゃん。ネコにしておくのはもったいない。『一句の妙文 永劫を助く』とは、ひとつの言葉がその人を生涯助けてくれるという意味だよ。みゆもそういう言葉を探しなさい」
「は〜い」
あまりにも軽い返事に、他の3人は拍子抜けした。
うーにゃん先生流マインドフルネス
米アップル社創業者、スティーブ・ジョブズが傾倒していたことで、米国のビジネス界で脚光を浴びている禅。
宗教色を排し「マインドフルネス」としてアレンジされ、瞑想を通じて自身の深い心のあり様を見つめ、経営判断や、仕事のストレス緩和に活用されています。
その源流にある禅宗の文献からまとめられ、日本では多くの経営者により愛読されてきた禅語を「うーにゃん先生の禅語」として連載でお届けします。
情報過多の時代に生きる私たちが、シンプルに本質を判断し、次の一歩を後押ししてくれるヒントが必ず見つかるはずです。
ZEN(禅)マスターは
年齢:12才、性別:♀、猫種:キジトラ、名前:うーにゃん先生。
一見平凡な猫に思えて、その実、深い知識と教養を備えたうーにゃん先生とその飼主である「みゆ」との会話を通して、禅語の本質を平易に解き明かします。
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