一即多 多即一
「きょうはこの言葉について考えてみようよ」
「よろしくお願いいたします」
みゆがうーにゃんに向かって一礼すると、うーにゃんはみゆの前に一枚の紙を掲げた。
「読んでみて」
「イチソクタ、タソクイチ?」
「それでもいいし、一すなわち多、多すなわち一でもいいよ。どんな意味だと思う?」
「一はたくさん、たくさんも一、ひとつもたくさんも同じ……かな?」
うーにゃんの退院後、みゆの心のなかで、なにかのスイッチが入った。毎週土曜日、うーにゃんの講義を受けることになったのだ。うーにゃんこそ自分の師という思いが募ったのと、ネコの寿命は短いから、うーにゃんから手ほどきを受けられるのもそう長くはないと悟ったからだ。
「最近、DNAの解析が進んで、犯罪の捜査にも活用されているよね。残っていた髪の毛や体液で犯人を特定したり……」
「うん」
「ビッグデータの研究も進んでいて、ニンゲンのひとつの行動で次の行動も予測できちゃうとか」
「うん」
「ある日本画家が弟子に、『葉っぱをきちんと描けるようになりなさい。一枚の葉っぱが描けるようになったら宇宙が手に入ります』と言ったとか」
「うん」
「時間を守らない人は仕事も雑だとか」
「……うん」
「つまり、ウーが言いたいこと、わかる?」
「なんとなくわかってきた。一事が万事というか」
「そう! 一事が万事。ひとつひとつの行いがその人を現しているし、その人のニンゲンとしての価値はひとつひとつの行いによってできているということ。ということは?」
「え?」
「自分の生活に置き換えて、どうすればいい?」
「うーん……」
みゆは腕組みをして考え始めた。
「知識を得ただけじゃダメだよ、みゆ。どんな学びでもそうだけど、自分の行いに落とし込まなくちゃ」
「わたしはまだ未熟だから、まずはひとつひとつの行いをきちんとするということ……かな」
「そうだよ。そのとおり。じゃあ、具体的にどうする?」
「朝寝坊しない、部屋を片付ける、決めたことをきちんとする、規則正しく食事をする、ママの手伝いをする、約束はぜったい守る、すぐにできることはすぐにする……、いっぱいある。紙に書いておかないと忘れそう」
「なにをするかはみゆが決めること。要はひとつひとつをていねいに、心を込めてすることだよ。簡単なことほど気持ちを込めてする。そういう気持ちで行ったひとつひとつは、必ずなんらかの成果となって現れるはずだよ。そうなるまでは時間がかかるけど、かならずそうなると信じて根気強くやり続ける。やがて、気がついたら一が多になっているよ」
「そうかぁ。コツコツと、一歩一歩着実に、だね。うーにゃんだって、はじめはニャーしか言えなかったんだもんね」
「てへ」
「うーにゃん先生のおかげで、学ぶのが楽しくなってきたよ」
それから、みゆとうーにゃんはお菓子を食べながらおしゃべりに興じる。
そのとき、パパが帰宅した。みゆの部屋を開けるなり、白い箱をうーにゃんに差し出した。
「ほれ! うーにゃんにやる」
「え? なに、これ」
「チーズケーキだよ。おまえ、好きだろ?」
「うん。でも、どうしたのパパ」
「なーに、おまえには世話になっていると思ってな。拾ってきた頃は穀つぶしだと思っていたが、最近はしっかり働いてくれているし。こうして娘も世話になっている。礼を言うぞ」
「ありがとう、パパ」
うーにゃんは白い箱を受け取り、なかを覗いた。
「うわー、うーが大好きなチーズケーキだ。ママ〜、来て来て、うーの好きなチーズケーキだよ」
うーにゃんは破顔一笑した。ネコの顔にそれほど筋肉があったのかと思うほど、顔をくちゃくちゃにして喜んでいる。
うーにゃんがこれまでにやってきた、ひとつひとつの行いがチーズケーキにつながっているとみゆは思った。
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